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​批判理論を超えて 2021.6.17~

批判体系と可能条件とは、フーコーのコレージュ・ド・フランスの就任言説で示されたことでしたが、それは同時に、自分自身のテーマであり、批判体系を徹底させないと可能条件は開けないという拘束条件の下での思考経歴となっていきます。マルクス主義的批判の無効性が痛感され、そこからイリイチに出会い、フーコー、ブルデューらへと進んでいった。

批判は、存在的条件を問いますので、きつくなっていく傾向に行きますが、徹底すると、他なるものとの関係の取り方が、しなやかになります。マルクス主義みたいに、相手を攻撃することではない、批判理論です。

<ホスピタリティ>を見いだしたとき、可能条件のクリテリアが見つかり、そこから、すでに見いだしていた場所、文化技術が、より批判水準を深めることになり、<資本>概念の転移が、決定的指標になって、<述語制>の発見へと至ります。

批判考察の究極は、国家論です。この壁が全てです。そこを徹底した国家論5部作をもって、ようやく、批判理論の上限というか限界閾へと到ることができ、通道がしっかりとしてきた。

イリイチには「自律性」、フーコーには「自己のテクノロジー」、ブルデューには「文化資本」と、可能条件は示唆されているのですが、それは批判理論を進化させる規準としての位置を出ていない。

すでに、1997年に、ボルタンスキーの論述に出会い、批判理論の限界を、「人は利害関係と力関係だけで生きているんのではない」ということと知って、彼に直接、何度も確認をしたのも、批判理論への批判が、「後退」を不可避に招いてしまう、そうならない理論条件はなんであるのかをはっきりさせるためでした。非常に重要なので、右のように、新書でわかりやすく、わたしなりにまとめなおした。

​文化主義や記号論、ポストモダニズム論など、後退は、日本だけでなく世界線でも起きていたゆえ、そこが、なかなかボルタンスキー理論から領有できなかったのですが、ボルタンスキーの言説が一番、そこへの通道のパワーになる感知は持っていた。それが、「現実の試練」の立場で、わたしは企業との協働研究ワークで、その位置に立って、自らへはっきりさせる手立てを探り続けた。しかし、企業ワークは、悲惨なほど、後退的な思考と実践に囚われており、マルクス主義と社会主義の思考は、企業体に一番実行されている、しかし、そこにイデオロギーはないという奇妙な現象でした。ニュー・レフトの沈静は、明らかに、経済理論、国家論、権力論の誤認からのもので、それは制度化理論の不在からもたらされているのは、イリイチ時点でわたしは気づいていましたが、確証になったのは、「資本」概念へのまったくの不在、場所概念のなさかであるとわかり、六年間ジュネーブで、世界理論の総括に格闘し、そこで転移の方向は定められた。『哲学の政治 政治の哲学』です。ここで、同時に、わたしは商業出版との関係を断ち切り、自分で出版の文化生産を開始します。本が売れるとか売れないとかの、利害基準に規定されていては何もできないからです。

可能条件の創出

哲学する日本」が、哲学地盤の転移として、明確になります。日本の文化に対して、驚くほど、なんの理論言説もない。それどころか、和辻や時枝、丸山、そして日本史の網野など、日本がまったく把捉されていないのに気づきます。ただの唯物史観が、暗黙に作用しているだけ。廣松の近代二元論批判にもさきが何も開けていない。物象化論が、中途半端なままなのです。ですから、「資本」がなんら把捉されていない結果になります。ブルデュー自身がそうです、文化資本概念も「構造化された諸構造」に関する批判理論のままで、「構造化する諸構造」として考察されていないのです。フーコーの「自己テクノロジー」も欲望の主体化、告白の批判理論、として滞留しています。

しかし、権力諸関係や統治性の考察は、明らかに、マルクス主義的批判理論の限界をラディカルに転換している、そこからポジティブな可能条件をどう探りあて、理論言説の地平へ開いていくかです。

物象化」から、わたしは、商品物象化と別次元で、制度物象化と社会物象化の配置を抽出、そこから<社会なるもの>それ自体を問う次元を見出し、そのきっかけになったドンズロ、そしてボルタンスキーゴドリエ、シャルチエ、ハッキング、ラビノウ、ジョン・アーリ、スコット・ラッシュ、ジャン=クロード・パスロンなどと直接対話しながら、問題設定を彼らにぶつけつつ、何が彼らに把捉されえていないかを確認しながら、自分の考察を彼らを領有しつつふかめていくのですが、エドワード・アンドリューの<コンシアンス>が彼らの転倒の根源であることを学ばされ、そこから見ていきますと、みな、<コンシアンス>のプラチックで無意識に方向転換してしまっているのを知ります。彼を日本に招いての報告をまとめたのが、右の書です。彼のその後の新たなコンシアンスの書にはわたしへの謝辞も入っていますが、彼とはカナダ、ジュネーブにても論議し続けたからです。

「実践=プラクシス」ではないことは、最初からわかっていたのですが、「実際行為=プラチック」へ対象転移していながら、そこが批判理論生産のままであるのは、<コンシアンス>への西欧的無意識の深い、暗黙世界があるからです。アンドリューから、何度も、日本で<コンシアンス>はどうなっていると尋ねられ、現象としての「仇討ち」のプラチックしか思い浮かばなかったわたしは、そこが「述語制」であることの気づきへと回路を開けた。同じころ、金谷武洋の「日本語に主語はない」に驚愕的に出会って、つまり、主体化へ「意識」へと転回していく<コンシアンス>は、日本では述語性の意志として暗黙知に入っているのを気づかされます。ここから、<日本>が普遍性へと見えてくる。しかし、ナショナル化されたならアウトですから、注意深く、探究していかねばなりません。

原基を「古事記」に、そこで吉本共同幻想論の深化・飛躍の位置がわかり、「国つ神論」「<もの>の心性」論へと一挙に前進できた。古事記研究は神野志の基本考証がありましたから、そのさきへ行けばすんだ。それは、幻想論を持って読み込めば、明証に理解できます。それがないと混迷するかばかなことを言い出すだけです。神話解読は、レヴィ=ストロースでは通用しない、友人のアウスティンによる方法です。国家神話以前にある場所神話です。彼に約束したことを果たせた。

残るは、日本語論です。やっと、たどり着いたという実感でした。

日本語論へ

ここでも、批判理論は、国家語としての日本語批判を徹底しておかないと先へ行けません。

幸いにも、安田敏朗氏の一連の考証があり、それをわたしはブルデューの言語交換エコノミー論とイリイチのバナキュラー論とから練り上げ、「国家資本としての主語制言語」としてランガージュ規定を明確化し、逆に、ラカンの無意識のランガージュ論を国家論として再配置して、批判理論の本質画定をなします。これで、スタートできる。でないと、近代主語言語化された概念空間がすぐ入り込んできて、日本語自体を把捉できなくなりますから、絶対的に必要です。動詞と形容詞の区分など無意味ですし、人称も日本語にはない。英語のように屈折語でさえ、人称動詞変化など、言語表出に意味ないのですが、そうしないと主語化しえない西欧語です。

そこに、尊敬する藤井貞和さんが、『文法詩学』を公にし、助動詞論を明証にする。これは、晴天の霹靂でした。松下、三上、佐久間を、この規準から見直していけばいいし、富士谷成章や宣長、春庭を、再考して行ける。

いま、その途上ですが、あまりに先へ行っている為、おそらく誰ももうわからない次元へきてしまった。

わたしには、みな、裸の王様ばかり、しかし、それをみな見ているのに、誰一人、「王様は裸だ」と言えない、言わない。その中の、真実を表明した、ひとりの子供の状態です。この言語物象化は、国家資本化されていますから、そう簡単にはとけずとも、言説は日本に出されてきているのですから、どう理論生産するかだけです。

情緒論へ、そして文化普及の作業へ

そのとき、わたしに自覚されたのは、<情緒>の海域でした。まさに大洋の波頭イメージですが・・・・

知的作用が届かないもの、しかし、明らかに作用しているものです。自分の情緒世界を見直したのが「聖諦の月あかり」です。

おなじ頃、篠笛・真笛にであって、確信。この道具技術の、シンプルさと奥深さ。

知的界閾の限界線まできましたので、ようやく、ポジティブなものを見ていても、退行せずにいられる。

sウルト、拒否してきた、新書的な表現手段で、堕落しないことが可能になっていく予感がしたので、新書の文化普及へとあゆみをすすめられた。新書って、コン詰めれば、3週間もあれば書けてしまう、それでも堕落しない、表出へと向かえる。どんどん書けてしまうおですが、そうするとまた、山本新書になってしまうので、セーブしていますが、1年に10冊は書けてしまう。その遊びに、入りたいものです。

肯定的歩みは、実に、明証でシンプルです。物事複雑にしているのは、物象化です。転倒世界ばかり作ってきた産業社会、それがコロナ禍世界で一挙に吹き出した。批判理論が不徹底だから、ぐだぐだになっている状況です。

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わたしの批判理論体系

​産業社会批判

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キューバ研究

​(修士論文)

メキシコ革命研究

​(博士論文)

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​資本主義も社会主義も、産業的生産様式を競い合ってきただけで同質です。生産手段の国家的所有をもって、異なる経済生産とはならない。

​教育批判

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​消費社会論

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​権力批判理論

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​ジェンダー論

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​国家理論

5部作

社会主義批判

​国家権力の階級独裁などは、実際にありえない。党独裁の統治性なき支配があるだけです。国家は、根源から考え直されねばならない。

​批判言説理論

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​新たな設計へ

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​文学理論へ :批判言説の客観化を客観化する

これら、批判言説に並行して、文学理論・批評理論が転移遂行されていた。しかし、記号論とディコンストラクションの恣意的思考へと流行化したため、わたしは距離をとったまま、放置してきた。日本の受容は、あまりにも粗末であったゆえ、学ぶものなし。だが、ランシエールやマシュレが文学理論へ関与していたことは気になったまま、読んではいたが本格的に取り組むことはしなかった。マシュレの手法は、吉本文学批評論の裏付けになるような理論生産があるのだが。

​21年、鈴木貞美さんから好意的な協働をえられ、これは良い機会、ぶれずに文学へ向かえると、脇に置いてきた文学理論にアプローチする。もともと、文学好き青年であった自分だが、情緒論を深める上でも必要であり、尊敬してずっと学んできた藤井貞和さんのワークにも取り組み直せると、ポール・ド・マンとヘイドン・ホワイト を両輪において、マシュレ/ランシエールを第三項に配置して、諸理論の隙間からの哲学言説/社会科学言説の客観化の客観化へ進む。「述語制理論」に重要なファクターとなるからだ。文学理論言説は、多分におしゃべりになる。自由度が増すかのような錯覚誤認だが、哲学的規制が外れてしまうためだ。ド・マン思考などはその典型で、まっとうだが否定形式でしかなく、ジュネットはただの過剰になっている。ホワイトは歴史学の隙間の虚をついた。ジジェクやイーグルトンなどマルクス主義批評は無価値、など識別裁定は既にもっている。読んでいなかったわけでは無い、本気で取り組む気にならなかっただけだが、ずっと気になっていた。

批判理論の中に批判理論を脱していくものが、各文学理論論者間の間の空に潜んでいる。彼ら自身の言説にではない。しばし、七転八倒し、わたしなりの固有の文学論を生み出したい。(2021年9月5日記)

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