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日本思想と述語制の日本論へ 哲学する日本

吉本思想の本質論を基盤にして、西田哲学の場所論・述語論をもって、日本を対象にした折口言説を積極的に裏付けとしています。そして、「古事記」尺度から考察をくわえ、宮本武蔵の言説をデカルトに対峙しうる閾と設定しています。

そこから近世の日本思想を批判的にみています、宣長および篤胤を批判否定的にみれる位置にたてました。ポジティブには、昌益と富士谷御杖を設定し、そこからいま検証を加えています。和辻哲学は、廣松哲学とともに言語理論として誤謬であるのは主語・述語・コプラという日本語には無いものを前提にした思考であるからです。日本の思想としては否定すべきものです。丸山の日本政治思想は、恣意的なもので論外です。(それはみな気づいていることなのに口に出していないだけです。)西田幾多郎や折口信夫を機軸に、吉本思想の基盤から見直し、再構成していく必要があります。

吉本隆明

幻想表出、自己表出、心的表出、この3大本質論から、世界線での思考が可能となります。吉本思想は20世紀、世界至高の思想です。吉本思想は述語制の思想!

吉本隆明の読み方

​共同幻想論:共同幻想の国家化と幻想の統治制

Articles & Resources

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​吉本さんとの25年間にわたる対談集です。

​「吉本隆明戦後55年を語る」を1冊にまとめました。小生が主に聞いている。

折口信夫

日本の心的言説は、折口です。その規準をもって日本を考えます。近代言説体系である柳田国男ではありません。日本を論じる時、必ず折口の考察を媒介にして、対象へ踏み込んでいます。<もの>論、国つ神論にて活用しています。

西田幾多郎

西田哲学の場所論、述語理論は、世界普遍理論の基礎となります。

『「場所」論ノート:西田幾多郎の「場所」論を読む』(季刊iichiko、93号)として論述してあります。『場所環境の意志』は西田場所論が基盤です。

宮本武蔵

西欧のデカルトの時代、日本の武蔵が「非分離」「述語制」の<わざ>を言説表現しえています。

​『武士制の日本』としていずれ論じます。

言語理論:述語制としての日本語論

 

言語理論は、わたしにとって、ランガージュとディスクールの理論となるもので,ラングではありません。言語プラチックから、ことばと<もの>の関係を、述語的に論じるものです。『哲学する日本』で問題提起を構成し、『述語制の日本』全3巻として思索形成中です。述語表出の言語理論です。その序論は書き上げました。述語制言語様式は、文化技術へ活用されて、絵画や伝統技術へ表出されています。

​哲学する日本 4
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​述語制言語としての日本語:主語制言語との対比から

述語制の言語と世界

日本論 『哲学する日本』

 

哲学する日本1 『哲学する日本:非分離・述語制・場所・非自己』2011

哲学する日本2 『<もの>の日本心性:述語表出の界閾』2014

哲学する日本3 『 国つ神論:古事記の逆立解読』2013

哲学する日本4 「述語制の日本」 ①『述語制の日本語と日本思想』2019

                 ②『日本語の述語制文法と言語資本』(未刊)

                 ③『述語制日本語の哲学文法と文化資本』(未刊)

 

哲学する日本5 『日本の情緒資本論:感覚・情緒、愛の理論』(未刊)

哲学する日本6 『武士制の日本』(未刊)

 

日本の原理は、非分離・述語制・場所、そして非自己にあることを抽出しました。既存の日本論は、現象の指摘のみでその理論把捉がなされ得ていません。西欧の分離・主語制・社会、人間主体・自我の原理とは異なる普遍原理が日本にはあります。

​そして、日本には二つの幻想設計世界があることを古事記と日本書紀との違いから把捉しました。

​哲学する日本 1

日本の哲学原理

​日本語に主語がない、述語制の言語様式です。そして技術的にも述語制の非分離技術であり、場所に根ざしたものです。また、主体ではない非自己が感覚的に作用し得ています。

​箸とフォークの違い、風呂敷と鞄の違いに、日本原理と西欧原理の違いが明証に出現しています。文学表現は非自己表出です。

​哲学する日本 2

<もの>の日本心性

 

<もの>は、魂、神の心的な表象で、芸術や技術に具現化されかつ各人の心身へ領有されています。ホスピタリティは、見えない閾で<もの>を作用させる非自己技術です。サービスは実体的な「物」を動かすにすぎません。日本文化に潜む高度な<もの>の世界を感知することです。<もの寂しい>の「もの」です。

​単行本が品切れのため、またより廉価で提供するため新書版として刊行。

新論稿を所収。

​2021.2.28 発刊 2200円+税

​哲学する日本 3
国つ神論:古事記の逆解読

 

日本の幻想技術は「古事記」にあります。吉本「幻想」概念をもって神話を解読することです。

「古事記」規準から、日本の言説相を考察していきます。国つ神と天つ神の共存が場所の幻想表出の規準になります。天つ神を消すとローカリズムとなり、天つ神を天皇と一致させると天皇制となります。

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​日本の神体系:古事記の重層的な共同幻想

近世日本思想史において、非分離言説が分離言説へと転じていかれますが、その国学言説として宣長・篤胤の「神」論理は<国つ神>を消し去っていく言説の典型です。

​古事記は、多元的な場所の幻想世界ですが、日本書紀は一元的な葦原中国の幻想世界です。神の名も布置も、古事記と書紀とでは異なっています。

 

​旧著うりきれのため、新書にて定本化。

​旧著

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