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任侠映画と日本情念

高倉健と任侠映画

高倉健の昭和残侠伝

高倉健の日本侠客伝

高倉健の網走番外地:仁義と礼儀

高倉健と藤純子の情愛:「侠骨一代」

藤純子の女侠客の美:

緋牡丹博徒・日本女侠伝・女渡世人

限定400部です。

​ehescbook.comにて直販。

売り切れました。

​(近日、新書分冊で、写真なしで刊行準備中)

西部劇の文化学

西部劇の主なる舞台は、旧メキシコ領土です。西部劇にはメキシコ人、インデャイン、そして中国人が必ず出てきます。「シェーン」は、「ジョンソン郡の戦争」(『天国の門』が史実に近い)を単純化した映画です。ビリーザキッドは、キリストが重ねられています、その背景にはリンカーン軍の戦争の史実があります。「荒野の決闘」は、連合軍・対・ナチスの戦いのメタファーです。西部劇には色々な要素が込められており実に面白い、それを解き明かしました。そして西部劇俳優たちは、すべて自らが死ぬ映画を作っています。高倉健の西部劇もありますが、高倉健も自らが死ぬ映画を作りました、道行は、任侠映画にも西部劇にもあるシーンです。男の命を賭けた道です。ehescbook.comへ直販で申し込んでください。(写真、多数)

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007/ジェームズ・ボンド論

007で遊んでみました。

分かったこと、ボンド映画は述語制表現であることです。ボンドとヴェスパーの愛の会話は、非自己の述語制表現が主語言語においてなされています。字幕は反転してしまっています。

また「スペクター」=悪党は、現代産業社会経済を支配しているということ。

などなど。

​ペンネームというより、映画論はこの表示ですることにしました。難解山本理論みたいになっているので、やわらかく(?!)、小生読者の新たな層をひらければということからです。

​2021.11.20刊

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