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阿波弓夫の仕事

2015年10月15日発売 
538頁 
定価:本体4,800円+税 384円

『オクタビオ・パス:迷路と帰還

17年間メキシコに暮らした著者が、ノーベル文学賞詩人・思想家のオクタビオ・パス(1914-1998)と直接交流しつつ、 40数年間向き合い続けて表出した渾身のパス論。
 「メヒコ詩人パスを夢中に書き続けながら、実は無意識に自分という迷路からの脱出を試みていたこと、そしてさらに日本に帰還している自分に気が付くに至ったこと、この二つの気付きのうちにメヒコのパスが自分なりのパスとして蘇生していた。本書が多少なりとも世に問うものを実体として持つとすれば、それはもともと「分かる」というようなごくありふれた言葉が日常生活の何気ない瞬間に異化された経験と一体になっていることに起因する。このような経験は特に珍しいというものではない。ただ、筆者の場合、これをメヒコという異世界との出会いのなかで見出した、そしてパスの杖に支えられて読み考え、かつ励まされてきたということである。」(「読者へ」より)

オクタビオ・パス-------------------言葉の魔術師
読者へ
I 詩人の内部へ『奥の細道』から
序   原野に窓を開く
第1章 パスの芭蕉---------熱愛とその構造
第2章 長詩『太陽の石』読解とその背景
第3章 短詩「街路」---------開かれた〈物語〉の彼方へ
第4章 詩作の瞬間、創造の源泉
第5章 パスとギリシャ哲学
第6章 パス・生きる
第7章 長詩『石と花の合間に』---------新旧ニ版に関する一考察

II 『孤独の迷宮』を読む
序   アリアドネの糸を求めて、迷路から
第1章 オクタビオ・パス対「透明人間」---------『孤独の迷宮』研究序説
第2章 ロス・アンピバコス---------三人のインディオ
第3章 鯛とメトラジェタ---------オクタビオ・パスのいる入江から
第4章 『孤独の迷宮』を読む1---------構造解明の視点から
第5章 『孤独の迷宮』を読む2---------流れに抗して

III 言葉は架け橋
序   詩人パスと友人パスの合間から
第1章 サパタの顔を読む
    ---------メキシコ革命のヒーローの死と再生をめぐる一考察
第2章 『孤独の迷宮を読む』3
    ---------オルテガ、大江健三郎を手がかりとして
第3章 『孤独の迷宮を読む』4
    ---------ブニュエル、吉田喜重、セアを手がかりとして
第4章 『孤独の迷宮を読む』5
    ---------ブニュエル、吉田喜重、セアを手がかりとして
第5章 四人のエスピリトロンパ
    ---------日本におけるオクタビオ・パスの知的反響
第6章 ソンブレロはパスの風まかせ

オクタビオ・パス主要作品略年譜

● El titulo del kibro que le propongo hacer : “Octavio Paz y su batalla en Japon”
● Un viaje fantastibo hacia Octavio Paz
● Un viaje fantastibo hacia Octavio Paz 2

あとがき

オクタビオ・パス『太陽の石』

監訳:阿波弓夫、伊藤昌輝、三好 勝

パス.jpeg

2014年3月31日発売 
128頁 
定価:本体1,800円+税 144円

●太陽の石 オクタビオ・パス
 注釈 オクタビオ・パス

オクタビオ・パス生誕百周年に寄せて
●オクタビオ・パスの「太陽の石」 エリア・ソーサ・ニシザキ
●精神圏の巨歩の旅人 大岡信
●パスの庭で 大岡信
●常軌を逸した東洋通 ドナルド・キーン
●パスとSendas de Oku(『奥の細道』) 林屋永吉
●詩人の美術館 テオドロ・ゴンザレス・デ・レオン
●オクタビオ・パスの未来 ガブリエル・サイード


▼オクタビオ・パス主要作品略年譜
▼あとがきにかえて 阿波弓夫
▼謝辞

 

・なぜいま、「太陽の石」なのか
 メキシコの詩人オクタビオ・パスは、1914年メキシコに生まれた。今年は生誕百年である。ノーベル賞受賞者であり、スペイン語圏を代表する詩人、文学者であるが、日本ではまだあまり知られていない。
 本書で紹介している長編詩「太陽の石」は、1957年に発表された。この年には、パスにとって転機となる大きな出来事が三つ起こっている。一つは、評論「Las peras del olmo(楡の木に梨)」(メキシコ国立大学出版)の発表で、表紙には歌麿の美人画が載った。二つ目は、松尾芭蕉の『奥の細道』のスペイン語版「Sendas de Oku」の完成。三つ目は、長編詩「太陽の石」の成立。いずれにも、日本や東洋趣味が強く漂っているのだ。
 パスのオリエンタリズムは、浮世絵や書画、骨董のそれではなくて、俳諧、連歌のほうに顕著だったが、当時のメキシコがアメリカやヨーロッパを理想の中心として仰ぎ見る時代であったこと(これは、ノーベル賞受賞演説でパス自身が述懐している。曰く「いいものはすべて外にある、出かけて持ち帰らなければならない。」)を考えると、日本やオリエントを前面に出したこれらの作品の発表が、実に異端児的行為であったことだと想像できる。
 しかしそれは、奇を衒った行為でも何でもなく、パスが全世界を経巡った挙句に到達した、つまり価値転換した彼にのみ見えた、メキシコのもう一つの顔であった。

 「太陽の石」と同年に発表した、スペイン語版『奥の細道』については、後日、共訳をした林屋永吉氏が興味深い〈パスの俳諧論〉ともいえる話をされている(本書に掲載されている)。かの有名な「閑さや」を、最初のQuietudという直訳語から、少しのちにTregua de vidrio という、文字通りに訳すと「ガラスの休戦」という言葉にパスが変更したというのだ。自分流のイメージの世界ですでに俳諧を自家薬籠のものとしていたことがわかる。自らヨガの実践者として、禅の精神にまで体を通して近づいていた人らしく、芭蕉の精神を自分なりに掴んでいたのだろう。

 『奥の細道』と「太陽の石」が重なり、しかもそれはパスの人生の大変動ともつながっていた。それはつまり、ミクロコスモスとマクロコスモスとの重なり、反対物の合一というシュールレアリズムの芸術が、最もメキシコ的な様式美をもって姿を現したといえる。そして我々も1987年に、パス宇宙の大転換に連なっていた。こうしたことから、今回「太陽の石」の邦訳を出すことに繋がった。

コーディネーター 阿波弓夫(あとがきにかえてより抜粋)

 

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