教育論

第1回 ソーシャルスキルの<転倒>

昨今、教育現場で言われる「ソーシャルスキル」についての問題提起。学校教育の現場で、子供の成長による大人との関係性の変化と真の意味での「ソーシャルスキル」を考える

第2回 検証:大川小学校事件

東日本大震災発災時に宮城県石巻市立大川小学校で起きた、津波避難時における状況判断ミスによって全校児童108人中死者64人、行方不明10人という悲劇的な事件を学校教育者の目線で「当時、災害発生時に何が足りなかったのか?」という疑問を膨大なデーターで考察・検証する。

第3回 取手市女子中学生いじめ自殺

平成31年3月20日 取手市立中学校の生徒の自殺事案に係る調査結果について  取手市立中学校の生徒の自殺事案に係る調査委員会 の報告書を受けて女子中学生が自殺する背景と教師がなぜいじめを止められなかったを分析する。

報告書ダウンロード

取手市立中学校の生徒の自殺事案に係る調査結果について

※教育委員会による当該教師の処分について

​ニュースだけでは心もとないのですが、まず担任。「もっと出来ることはなかったのか」と後悔しているという。これを読む限り、自分がやったことそのものに疑義を挺してはいない。一体何が「もっと出来た」のか。経過を見る限り、「もっと」やれば、もっとひどいことになる。「別なことをやる」べきだったはずだ。

そして学校への対応。管理職に対して「指導助言が不十分」というが、たとえば、奈保子さんを含めた生徒の話をろくろく聞かずに、「そういうことでは社会で生きていけない」という「助言」のどこが「不十分」なのか。「間違って」るんじゃないのか。

行政に対しては「重大性の判断をあやまり」という。しかし、アンケートや聴き取りの結果「いじめの事実はなかった」とした行政の対応は、「重大性」をあやまったのか。同じことを、遺族側で同じ生徒に聞いたら、まったく別な回答が得られたという、そのどこが「あやまって」いるのか。これを世間では普通、「ねじ曲げた」と言っているのだ。

処分が出たとか出ないとか、重いとか軽いとかではない。「法律の理解が不十分だった」という横並びの態度が問い直されずにいる、そのことが極めて残念なのである。

​第4回 学校の校則

最近、著しく問題視されてきた学校の<校則>を考える。

​生徒にとっての校則、教師にとっての校則、学校にとっての校則、地域にとっての校則、一つの問題だが教室マネージメントの視点から見る学校の校則とは?

​第5回 学校現場の”平等”について

学校、特に教育の現場で教員の使う”平等”についての論考です。

​教師にとっての”平等”と生徒の”平等”の乖離や教育現場を離れて学校周辺、教育環境周辺における”平等”との乖離について考えます。