
山本哲士による吉本思想の解読
web intelligence university公開講座
2017.8より
Learning to Think,
self-technology to Learn
Introduction
お詫び
ずるずると日々が過ぎ去り、体力も衰え、意志も強さを無くすなかで、述語制の理論体系の生産へと関心が移動しています。その理論生産を優先しますと、吉本思想の可能性という設定に内在しています批判作用が両義性を有している、そこへの姿勢が、肯定から否定negationへとシフトしてしまいました。それは、吉本概念を全て転移せねばならないこととして、批判媒介へと配置換えされることとなっています。
人生最後、自分の道へと進みます。不毛な諸関係は全て断ち切ります。最低限の使命は果たしたと思いますゆえご容赦ください。
青年時代に一番、心的内化した吉本文学論を否定媒介にして、言語・文学に潜む日本形而上学の抽出を優先させますゆえ、直接のレクチャーは回避いたします。記録として、このウェッブは残します。(2023.2.28)
大学アカデミズムの思考は、近代学問大系の分類=権力分割の、「意味されたもの」の整合をはかる思考技術でしかありません。<意味するもの>はまったく問われない。
日本言語の述語制の本質に立脚しそこから表出された、世界でもっとも深い吉本思想から、<意味するもの>を抽出する思考技術を学び取ることです。そこに、自身の自己技術の思考技術をみがきあげることです。
吉本思想の読み方
吉本思想は、幻想表出論、言語表出論、心的表出論の3大本質論が基盤です。そこから、政治思想、文学評論、情況論を把捉していくことが、不可避です。
その「思想的緻密さ」は、西欧の「理論的緻密さ」とはまったく別個です、そこで<意味するもの>として作用している次元をキャッチすることから、吉本思想解読はなされます。
吉本思想の世界性
わたしたちは、フーコーもラカンも、マルクスもフロイトも原著で読めますが、欧米の彼らは吉本思想=日本語を読めない。わたしたちの方が、はるかに優位にあるのです。それを活かしえていないのは、日本の知的怠慢です。同時に、世界思想・理論の水準で、吉本思想を読みえていない、欧米の怠慢さがあります。この双方の怠慢・懶惰をこえていくことです。

晶文社・太田社長から依頼されて、久々に他の出版社から刊行。わかりやすくと言われたのですが、性分からしてそうならず、大著になりました(左)。
吉本思想を、わたしは侮ることができない。世界第一線の「述語的思想」であって、無蔵の可能性が潜んでいます。国家論へと鍛えあげて、共同幻想の国家化への理路をつけました。共同幻想論は国家論と場所幻想(国つ神神話=民俗)へと実定化されることにしか可能性はないと観ています。同時に、「家族論」の位置も配置し、個人幻想の位置も配置しています。
これは、『フーコー国家論』『ブルデュー国家資本論』を同時に踏査して、さらに「ラカン」理論を社会科学的に構成して、マルクス、アルチュセールを踏まえ、再生産理論へと構築しました。<共同幻想国家論>の完成です。国家論5部作です。マルクス主義国家論を超克したと思います。
この時点で、本質論と歴史的存在条件との関係問題を新たな理論生産として切開しました。




